
memento mori
project
第二次世界大戦
サイパン攻防戦から80年—
戦争遺産に祈りの花をいける
アートプロジェクト
270名
の方がこの祈りに参加されています。

もし、戦場にいるすべての兵士が
ピストルではなく、花束を持っていたら。
全ての武器から弾ではなく
花が飛んできたら。
そんな未来を一緒に
想像してみませんか?
今の日本人は、ほとんど知らない。
けれど――絶対に
忘れてはいけない場所がある。
バンザイクリフ。
あなたは
その名前を聞いたことがありますか?
日本語に訳すと
『万歳(バンザイ)の崖』。
ちょうど、選挙でしたが
当選者が「バンザーイ」と喜ぶ
この言葉。
けれど、サイパンの“バンザイ”は、
悲しみの中で叫ばれた
最後の言葉でした。
私が初めてその崖を訪れたのは
まだ幼い頃。
戦前に生まれ
戦地に深い敬意を持っていた祖父に
連れられて行きました。
第二次世界大戦の末、
サイパン島に米軍が上陸した際
そこに追い詰められた
民間人たちは
投降を拒んで岬から身投げし
自決の道を選びます。
最北端の海の遥か彼方には
母国・日本がある・・・
その母国を想い
「天皇陛下万歳!」と言って
飛び込んだ崖がここ
バンザイクリフです。
真っ青な海は血で赤く染まり
あちこちから「お母さん」と叫ぶ声が
響いていたといいます。
帰れない未来を悟ったとき
人はどんな想いで
空を見上げたのでしょうか。
近くに放置されていた戦車や大砲は
錆びて静かに佇みながら
南国の鮮やかな景色の中で
ただひとつ、時が止まったような
存在感を放っていました。
その光景は、今でも私の中に残っています。
そして今――
再びあの地を訪れ
静かに息づく命の記憶に
祈りの花を手向けようとしています。
あなたも一度は思ったこと が
あるのではないでしょうか?
「なぜこの時代に生まれ
なんのために生きるのか」
この祈りのプロジェクトは、
そんな「問い」から生まれました。
私たちはいま
戦争の記憶が静かに眠る
サイパンの地に残された
日本軍の戦車に祈りの花を手向ける
アートプロジェクトを始めています。
このプロジェクトの名は
「memento mori」──
“死を想い、生を生きる”という意味の
ラテン語です。
それは
過去をただ悼むためではなく
“命の尊さ”をもう一度、感じるため。
明日の命が当たり前にあると
思ってしまいがちな
この時代にこそ問い直したい。
「あなたにとって
生きるということはどういうことか」
子どもたちの笑い声や、風の匂い。
ふと目にする野の花の美しさや空の色。
それらが“胸を打つ”のは
「生きている」ということを
私たちが深く知っているから。
咲くことも、枯れることも。
そのすべてが、いのちの営みであり
──だからこそ、どちらも等しく美しい。
“死を想う”からこそ
“今”がいとおしくなる。
そして、そこに込めたいのは、
ただ過去を見つめる祈りではなく、未来への想像。
私たち人間は戦争を繰り返してしまう。
それは
世界のあちこちにひいてしまった
BODER(境界線)があるから。
だけどそのBoderを子どもたちに
受け継がせてはならない。
もともとBoderなんて心の中にあるもの。
フラワーアートで大人が作ってきてしまった
Boderをフラットにしたい。
世界中の子どもたちが戦いではなく
ワクワク想像する未来を選択できるように。



生きることを
自由に、美しく。
私たちは、家族で「生きることそのもの」を
アートとして表現しています。
ふと思いついたことを
「やってみよう!」と動き出し
心が感じたことを、かたちにしてきました。
そのすべての営みが
花となり、アートとなり、命の祈りとなって
いまのプロジェクトへ繋がっています。
振り返れば
私たちは「面白そう!」と思ったら
なんでもやってきました。
花が綺麗だと思えば
フラワーデザインを学び
海外の一流現場で経験を積みました。
ところが──独立して3ヶ月
関連会社の倒産で
3,500万円の売掛金が未回収に。
それでも夫婦で力を合わせ
3年かけて完済しました。
その間、ふたりとも病を経験し
難病の通院や顔面麻痺も。
でも、奇跡のような回復の中で
命の尊さを知りました。

オンラインの働き方に飛び込んだ日々。
全国に仲間ができた一方で、やっぱり
「直接会う」喜びの価値を思い出しました。
途上国へ寄付をしたくて
4人の子どもたちを連れて
インド・カンボジアへ。
現地の子どもたちの
あの眩しい笑顔を
私たちは忘れません。







私たちの子供は学校へ行っていないため
それをいいことに
日本の美しさを求めて
家族6人で日本一周の旅へ。
買ったばかりの車は
あっという間に10万キロを超えました。
旅の途中で出会った自然と人の優しさは
今も大切な宝物。
もっと自然のそばへ…と
十和田へ移住し毎日温泉三昧。
そして今は、鳥海山の麓へ。
ご縁に恵まれ古民家と廃田を取得。
ハーブや花を育てながら
自然と共にある暮らしが始まりました。
──ほんとうに
書ききれないほどの物語があります。
でも、どれも始まりはいつも同じ。
「思い立ったら、やってみる」だけ。
失敗も、涙も、奇跡も全部。
この姿勢こそが
greenpieceの根っこにあるものです。
greenpieceは、花屋ではありません。
これは、私たちの
「生きるクリエイティブ」そのもの。
咲きたいように咲く。
その姿が、私たちです。
花に関わり、誰かを想い
走り続けてきた日々。
誰かの身体が壊れたときに感じた、命の重み。
子どもたちと旅する中で出会った
何気ない日々の豊かさ。
そのすべてが、ひとつに重なったとき──
私たちの中に、強い願いが芽生えました。
「この命に宿った想いを
花とアートで表現してみたい」
その願いを、かたちにするように生まれたのが
祈りのアートプロジェクト
「memento mori」です。

命の記憶に
花を手向ける
舞台は、青い海と空が広がる
南国の島「サイパン」
「ラスト・コマンド・ポスト」と呼ばれる
かつて日本軍司令部跡が
あったとされるその地に
今もなお、戦車の残骸が静かに佇んでいます。
このプロジェクトではその戦車に花を手向け
命に祈りを添えるフラワーアートを創ります。
かつて命が懸けられた場所で
現代を生きる私たちが
あらためて命と向き合う。
“命を見つめる祈りの時間”を
ここにひらいていきます。
この祈りの場に集うのは
──私たちの子どもたち
日本から駆けつけた仲間
サイパンで出会う子どもたち
そして現地のフラワーアーティストや
偶然そこに居合わせた人たち。
世代も文化も背景も超えて
それぞれの手で
ひとつの祈りの花をいけていきます。
これは
完成された“作品”を
つくることが目的ではありません。
思いつきから完成までの
全ての“時間”と“プロセス”
そのものが、アートなのです。
その瞬間ごとの命の記憶を
映像や写真、言葉として丁寧に記録し
世界へ、届けていきます。
どこにどう許可を取ったらいいのかも
わからなからない中
進んでいたのですが気づけば
igneous Affairs Office
先住民局
Carolinian Affairs Office
カロリン諸島民局
Department of Community Cultural Affairs
地域文化局
Historical Preservation Office
歴史保存局
Mariana Visitors Authority
マリアナ政府観光局
Forestry Division
林業課
などの機関のサポートをいただき
式典も行う運びとになりました。
